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〒386-0012 信州上田市中央4丁目ー18-22
鶏鴨料理 かぶらや
〒386-0012
信州上田市中央
4丁目ー18-22
TEL.0268-25-0015
長野新幹線、
しなの鉄道、
別所線、
上田駅お城口を出て中央通りを北へ徒歩15分(1.1km)
タクシー…3分
千曲バス 佐久上田線 八幡 徒歩3分(170m)
上田市バス 上田市バス街地循環バス赤運行 八幡前 徒歩3分(200m)
上田市バス 上田市バス街地循環バス赤運行 北大手 徒歩4分(270m)
◆◇眞田幸村の里信州上田市上紺屋町へようこそ◇◆
北国街道通りの周囲には城・神社・寺など…
上田の歴史や文化は、 城・神社・寺を歩いて見るとそこかしこにあふれ
いたる処で旅人の行きかう街、 旅の楽しみは人々との出会いと
そんな心踊る楽しみに出逢えそうな気がする。
上田は一年を通して少雨地帯で晴天の日が多く信州なのに雪も大して降らないですよ。
季節の寒暖の差が大きいため、四季の変化がはっきりしています。
上田駅より北上し、松尾町→原町→房山の交差点を左折し
柳町へ北国街道沿いには土蔵造りの格子戸や火返し(うだつ)のある旧家が立ち並ぶ
「保命水」の交差点を左折し、蛭沢川(ひるさわがわ)と右側に見える矢出沢川合流点
を望める、みどり橋を渡り是より紺屋町に入る、
静寂な通リ沿いに鶏鴨料理かぶらやがあり、その先四つ角に紺屋町公会堂。
右折すると八幡神社八幡の奉納絵馬・大絵馬も奉納されている。
左折か直進すると上田城址公園に至る。
信州上田観光協会上田市へのアクセス図
上田城址公園
かつて、七つの櫓が本丸を取り囲み、「百間堀」に水を満々とたたえていた、
外堀は東西を矢出沢川固め、東を蛭沢川で、南を千曲川の分流で
ある尼ヶ淵に面していた。上田城。(名古屋城に匹敵する程の広さ)
まさに自然の要塞真田氏が徳川軍と二度にわたる戦いで、天下にその名をとどろかせた名城でもあ。
旗印である六紋銭(六連銭=六道銭)"不惜身命"の決意「真田日本一の兵(さなだひのもといちのつわもの)」と呼ばれ現代にもその名を残してる。
上田盆地は、静かな里山と森林に囲まれ、長野県上田市の中央を千曲川
(千曲川は新潟県に入り信濃川は日本一長い河川)市街の中央に千曲川清流、
右岸には大扇状地、上田城を中心とし市街地が形成された城下町。
太郎山~虚空蔵山かけ「逆さ霧」の気象現象は雄大で幻想的である。
千曲川左岸には平担地が広がる、塩田平はのどかな
田園風景が山裾の森に苔生した古塔や寺院・神社仏
閣など史跡遺跡を残し風情を醸し出している。
歴史的文化遺産など文化財多く
「美しい日本の歴史的風土準100選」選定される。
リゾート地、山々が連なり盆地を形成しています。
戦没画学生の遺作を展示する無言館、信濃デッサン
館点在する。
塩田平・別所温泉などの歴史文化が息づく古都地です。
又、近郊の地区には、豊かな自然や機構風土の中でつくらた食材を地産食材が環境に
適し自然の恵みを受け、まさに自然の宝庫です。
上田市は、平成18年3月6日に、上田市、丸子町、真田町、武石村が合併し、
人口16万人の新上田市誕生しました。北は上信越高原国立公園の菅平高原、
南は八ヶ岳中信高原国定公園に指定され、美ケ原高原などの山々に囲まれ、
近隣の各市町村には、心も体も癒してくれる温泉、緑豊かな大自然で
リフレッシュしてみては、古き良き時代の産物を見ながら当時の歴史を
感じとれる伝統・文化・音楽・工芸・美術・博物館、長い歴史に育まれた数々
の文化財や遺跡を探索できる名所・旧跡と大変多くの見所が点在しています。
澄んだ空気ときれいな水があり、自然の中に箱庭を置かれた様な場所です。
又、映画のまち“信州上田”ロケ地としても多くの作品が作られており、
近年映画「サマーウォーズ」や「晴天の霹靂」「うさぎ追いしー山極勝三郎物語」
「兄消える」大河ドラマでは「真田丸」で盛り上がり、ロケーションハンティンには最適の場所と言えます。まさに上田市は、観光エリアガイドの拠点地です。
上田市の魅力主観秋冬の祭りこちらより上田市の魅力
◇紺屋町と八幡神社の由来・歴史(紺屋町の巻)◇
眞田昌幸の時代(1583年)より上田城の築城に着手、城下町を形成され
海野町・原町・鍛治町・紺屋町と町人文化が形成されていく、 上田城の鎮護(鬼門)
(北東の方角に位置し、その守護神としてる。 東部町海野より八神社をこの地に移した
といい弓矢の神。松平氏の時代、毎年正月三日の射初式に金の的を射あてたものは
この神社に的と矢を奉納した。(現在は上田弓道場内)八幡の奉納絵馬大絵馬も奉納
されている。江戸末期には町の西に、 多くの人々が住むようになりましたので、
下紺屋町と名づけ、それまでの紺屋町を上紺屋町と呼ぶようになりました。
1694年紺屋町46軒全長3町6間(1町は60間~約109mで約338m)
1706年宝永差出帳に紺屋町46軒、男178人女247人
1753年紺屋町入口に番所ができる
1803年矢出沢川出水。架橋12流死失する。
1826年紺屋町の大火で72戸焼失。
1834年紺屋町46軒の内紺屋10軒
1872年上田町差出帳に紺屋町108軒、男205人女199人
1874年上田町に消防組 紺屋町は7番組
1881年柳町に水道の初めとして保命水ができる。
1885年信越線が北国街道沿いに施設との事で生糸商・蚕種業者らが桑の被害を
懸念して反対する(現在の地 千曲川河川敷方面)
1908年紺屋町に簡易水道ひからる。
1919年市制施行大1回市会議員選挙(1級~3級議員)紺屋町から3級議員に
金沢九一朗柳町に演芸館ができる。
1941年国道18号腺長野~上田間が完成する。
1950年朝鮮動乱が勃発し、食糧難の時代も薄れていく。
青年会も昭和20年に始まり休会もあり29年には再会したそうです。
樽神輿も復活し、父からの話では、喧嘩みこしの評判で荒っぽく威勢の
いい若者が多かったそうな!
現在はこんや会が活躍しています。
2000年北国街道も「歴史的道路」に指定されるが、高層マンション建ち、
23年には大規模な舗装工事も終わり歩道と車道の境界が出来、
歩きやすくなった様で
2019年上紺屋町の公会堂も昭和5年に改築より90年長き町を見守り町民の
コミニティ―の絆の場所も令和5月より工事が始まり新しい元号元年には
完成する予定です。
2020年1月30日、武漢市からのチャーター便により帰国した邦人の中に
新型コロナウイルスに関連した感染症の2症例の報告があり、
その後、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行の第一波を
何とか思いきや第二波~第三・四・五波と1年半で拡大していく…
2月22日に落成式が行われました。
兼子治郎左衛門重氏、八幡太郎夢之助、兼子盛栄
MORIEI KANEKO、 kanekozirouzaemon、sigeuzi、seiei、
S25.8生源氏の生まれ、真田一族となる
S41年 弓道に憧れ、柳原光春師範と出会う
S44年 家業の影響で、調理の道進み、東京へ修行
S59年 女将(あの頃は可愛いかった)と結婚、ラッキー?
S60年 かぶらや開店、茨の道へ!
S62年 全日本弓道連盟五段取得後、仕事に専念
H元年 よりH7年頃まで最高潮!
H11年 三回目の店舗併用住宅新築
H12年 子育とパソコンに奮闘中にて弓の修行出来ず!
H16年 H5N1型の鳥インフルエンザ
H18年 四人の子育てに振り回される昨今
H19年 酒気帯び運転等の禁止
H20年 リーマン・プラザース経営破綻
H21年 子供もの成長共に景気低迷に…
H31年 店舗開業37年目 R3年に至る
H31~R元年 平成から令和へ、天皇陛下ご即位5月1日に天皇陛下が即位された。
R元年 京都アニメーション放火殺人、ラグビーW杯日本8強、消費税10%に引き
上げ、台風相次ぎ甚大被害
R2年 新型コロナウイルスの流行世界規模での感染拡大(パンデミック)
初の緊急事態宣言を発令
R3年 感染予防対策の為にしばらく自粛営業で完全予約制、テイクアウトグルメ
(持ち帰り)店舗開業37年目
◆退任役職:
上小食品衛生広域推進委員・自治会長・副自治会長・自治会会計・監事
上紺屋町建設委員会/財務部長
◇現在お受けしている役職
上小食品衛生協会理事・上田支部 上田食品魚介組合長・会計・自治会顧問
【HP・ブログ・SNS系】
日頃の営業・料理などの情報発信や日常のまかない料理やレシピその他の取るに足りない事を…
今後とも、此方もよろしくお引き立ての程をよろしくお願い致します。
かぶらやのスタッフ :一客再来、一期一会の精神でやっ”とり”ます。
〒386-0012
信州上田市中央4丁目ー18-22
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FAX.0268-25-0015